
私は、目に見えない大いなる力の流れに沿う(起きていることに抗わない)生き方を大事にしています。この話は、その意識を深めるような出来事の記述です。
お通夜、交通事故、ガンの告知によって、自分の使命を考える機会を、与えてくれたように思えます。
友人のお母さんの訃報
2019年3月30日の昼過ぎ。中学時代の友人から電話がありました。
「お母さんが亡くなったの。」
お通夜当日、祭壇にはたくさんのお花に囲まれ、今にも笑い声が聞こえてきそうな遺影のお母さんに、焼香をしていると、当時の会話が次から次へと蘇ってきました。
こういうとき、本当はサっと終えるのがマナーなのかもしれませんが、溢れてくる涙をおさえることも、合掌した手を離すことも、なかなかできませんでした。
雨の中バス停へ向かう途中・・・
帰り道は、冷たい雨が降っていました。まさに涙雨だなぁ~と思いながら、最寄りのバス停へ向かいましたが、なんとなくひとつ先の停留所まで歩きたい氣持ちに従い歩き始めました。
4月の夜は、まだまだ冷えます。普段パンツを履くことが多い私は、喪服のワンピース姿にいつも以上の寒さを感じながら、早歩きでバス停を目指しました。
そんな中、視界に一台のタクシーが入ってきました。私は当然タクシーが一時停止をするものだと思いましたが、タクシーは私の予想と反し、そのまま走り続けたのです。
タクシーと接触事故
「ボンっ」鈍い音と共に、右の脇腹に痛みを感じながら倒れました。こういうとき、全部スローモーションで見えるっていいますが、本当なのですね。面白いくらい映像がインプットされていました。
しかも、倒れながら
「えぇ~これぶつかるパターン~?」
と、ツッコミを入れていました。そして、
「道路に手を絶対着いてはいけない!」
と、肩から受け身をとりました。
アロマトリートメントの施術者である私の手のひらは、何にも代えることができません。もし縫い目などできたら、この先の人生を施術者として歩むことは叶わないでしょう。
ほんの数秒間にこれだけ考えることができたのだから、随分と余裕があったように感じますが、実際はすぐに立ち上がれることはできず、のろのろと這うようにして、路肩に移動しました。
ガタガタと、ものすごい全身の震えの中「誰かに連絡しなきゃ。」そう思い、携帯を持ち周りを見渡しました。
すると、何人かの人が電話を持って通報してくれていました。数分後、ピーポーピーポーという音と共に救急車が到着し、私は救急病院へ搬送されました。
運ばれているとき「救急車って現場に到着すると音が止まるんだ~」なんて、意味のないことが頭には浮かんでいました。
レントゲンに白い影が…
事故の怪我はありませんでした。
お医者さんからも、
「タクシーにはねられて無傷とは…」
と、半笑いで、言われるくらい。笑
無傷の理由としては、事故の瞬間、柳のようにものすごい脱力していたので、衝撃を受けずに済み助かったようなんです。
だけど、
「走っている車にぶつかったのは変わりないので、首と胸のレントゲンはとりましょう。今は事故の直後で痛みに鈍感になっていると思うから」
と、いう言葉に従い検査を受けました。
そして、レントゲンの後、
「骨には異常がありませんね。ただ・・・。」
と、レントゲン画像の白い影を指さしながら言いました。
「これ、肺ガンかもしれないから。ほぼ言い切っていいくらい。専門のところで診てもらって。早めに。」
外に出ると待合室に主人がいました。肺ガンの可能性のことを話すと、表情を変えずに「学生時代の友人でガンの専門医がいる。」と言い、その場で連絡をしてくれました。
ありがたいことに、その分野で地位のある専門医の先生から、直接診てもらえることになりました。(本当に感謝・・・)
結果がわかるまでの2週間
本当に肺ガンだったら、余命数か月という可能性もでてきます。
そのとき私はどうするのかな…
私が生まれてきた理由はなんだろう…
どうしたら知ることができるのかな…
と、深い思考の世界にどんどんはまっていきました。その数日後、
「占星術で何かわかるかもしれないっ!」
と急に思い立ち、時間が経つことも忘れて、自分の出生図(ホロスコープ)を読んでいきました。
すると、読んでいるうちにポタポタと涙が溢れてきました。
当時は、涙の理由がわかりませんでしたが、今思い返してみると、今生の目的に指先が触れることができた喜びの感情だったと思います。
そしてこの出来事は、
命の重みを意識することで、
今生の使命を考える機会を
宇宙が与えてくれた
と考えています。
なぜならば、精密検査の結果、白い影は跡形もなく消えていたからです。
あとがき
今日は、2019年8月29日。事故から5か月も経っています。なぜ、今書いているのか?という疑問が生まれますが、大いなる力の導きなんだと考えています。
明日は乙女座の新月です。
乙女座の私にとっては、特別なスタートのタイミングになりますので、この記事はなんらかの「はじまり」になるのだと思います。
西村じゅんこ