三日月と夕暮れ@星舟庵離れ濡縁
モノがあふれている世の中で、
自分が豊かさに対して、
どんな価値観を持っているか
という事は、
これからの時代の要に
なってくると思います。
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例えば、
私にとっての豊かさとは、
自分にほんとうに必要なモノを
自分が知っていること
かなと、今のところ思っています。
そう氣がついてから、
値段を見てモノを買うことは
なくなりました。
『安い』からと買ったモノを
大事に扱うことは稀で、
たくさんあるから必要以上に使い
結局は無駄になるパターンは、
今までも多くありました。(恥)
なので値段を見ず、
自分に必要かどうか?という視点で
ものを選ぶようにしています。
(買う理由の一番が『安いから』ではなくなったということです。欲しいかほしくないか。欲しいのに手の届かない金額だとしたら、なぜ欲しいと思うのか?見栄ではないか?はたまたどうしたら買うことができるのか?と問い続ける。)
*
また、持つモノが増えるということは、
捨てるモノも増えるということです。
自分の不足感を満たすために
その場しのぎの『小さな快楽』のために
本来は不要であるものを手にし
いらなかったことに氣付き
結局捨てる・・・
(という時期が私には長くありました。汗)
それは、
私にとって『貧しい』ことです。
必要以上にモノを使ったり、
必要以上に食べたりすることは、
必要以上に『命を奪う』こと
にも繋がります。
この感覚は、私にとって、
非常に『貧しい』ことです。
元を辿れば
全てに『命』があるからです。
生きていくうえで誰かの命を奪わずには
生きていけないことは事実です。
だからそのいただく命の背景を知る。
知っている。
その上でいただく。
いただく命の背景を想像することなく、
自分の欲求を満すことは、
私にとって非常に『貧しい』ことです。
私にとっての『豊かさ』とは
簡単、便利、安い、おいしい、楽しい
ということではなく
多少の手間と時間がかかったとしても、
本当に求めているものを知り
ほんとうに欲しいもので
満たされる自分であること
かな、と思います。
自分が満たされている状態が、
わからないままでは、
どのくらいのお金が必要なのかも
わからないまま
です。
お金についてはこの記事で詳しく書いています→お金ってなんだろう???
*
可処分所得という言葉があります。
自分の所得のうちで、
「どのくらい自由に使えるお金があるか」
という意味です。
これが時代の流れで、
お金から時間へと変化し、
これからは(もうすでに?)
精神の時代と言われています。
可処分精神。
「自分に精神的な自由がどのくらいあるか」
ということです。
この時代の流れは、
「モノ(お金)がない」と思うことにより、
「時間がない」と感じ、
「時間がない」と感じることによって、
「精神的な自由がない」感覚になる。
モノへの執着により、
本来「ある」氣持ちの自由が、
余裕が「ない」になってしまう、
そんな意味にも感じています。
(という時期が私には長くありました。汗)
*
占星術でも、
約250年続いた「地」の時代が終わり、
2020年12月22日から、
「風」の時代へ移っていく
といいます。
「地=物質」から、
「風=目に見えにくいもの」へ
移っていく境目に私たちはいるのです。
(グレートコンジャクションについては、いろいろな占星術師さんが、解説をされているので、興味のある方は検索をしてみてください。)
今までは、お金やモノなど、
目に見えたり、手に取ることで
簡単に価値を測ることができていました。
これからは、
人によって価値の変わってくる
「知性・自由・思想・哲学」など
目に見えないモノを扱う世界へ
変化をしていきます。
*
風にもいろんな風があります。
氣のよい風、
追い風、
向かい風、
淀んだ風、
穏やかな風、
吹き込んでくる風、
どこかへ運んでくれる風…
暑いとき風に吹かれると、
とても心地よいです。
でも、台風のような暴風の中で、
自分の力で立っていることは、
とても大変なことです。
世の中にどんな風が吹いても、
自分の足で立っていられるように、
自分がいいと思えるもの
正しいと思えるものを
『自分で選ぶ』こと
が、これからの時代に
必要だと思うのです。
奪い合う時代は終わり、
『調和』の時代が訪れます。
調和と言うのは
誰かの富のために誰かが我慢をする
というものではありません。
また、欲しいものを得るために、
ひたすら我慢し耐える
というものでもありません。
誰もが自分の幸せのために
本当に欲しいものへ手を伸ばせる
と、いうことだと思います。
満たされている状態とは
人によって異なります。
調和とは
誰一人として同じ人はいない
ということを体感覚として
落とし込まれた状態である
ことかなとも私は思っています。
星舟庵
西村じゅんこ