私には、
自分が幸せになってはいけない
って、
ものすごいブロックがありました。
それは『お母さん』の存在。
*
私のお母さんって、
いつも私たち家族を優先していて、
自分のことは後回しで、
「やりたいことができていなくて、
いつもかわいそう。」
って、私は思っていたんです。
っで、
その思いがつのりつのって、
「私がお母さんを不幸にした。」
って、ことが『事実』として
成立してしまったんです。
恐ろしいねぇ~(>_<)
さらに、
私の幸せは、
お母さんの犠牲を元に
成り立っている
って、ことまで『事実』として
成立してしまったんです。
おぉー
怖い怖い(*ノωノ)
っで、この『思い込み』を
なんとかしたくてしたくて、
長いこともがいていたんだけど、
結局は、
本人に聞く
しかないんだよね。
一人で、
こうかなぁ~?
ほんとはこうかなぁ~?
って、想像したり、
誰かを捕まえて、
「ねぇ~どう思う~?」
って聞いたって、
本当の答えは出てこない。
だって、本人じゃないから。笑
でも、これを本人に聞くのって、
ものすごーーーい怖い。
子どもの頃から作られた
『私はお母さんを不幸にした』
って、思い込みを、
本人に聞いてみて、
「そうだよ」
なんて言われた日にゃぁ~
もう立ち直れないよ。
でも、普通に考えてみて、
誰かが誰かの
幸・不幸を決めるなんて、
どう考えてもおかしいし、
もっというと、
余計なお世話で。
でも、
子どもの頃に作られた
『思い込み』って、
理屈じゃない
んだよね。
*
と、言っても、
私も、もう43歳だ。
そして、
このブログで、
本音で生きる
とか
内側の声を聴く
とか
本当のじぶん
とか、
言っている人が、
自分の怖れと向き合わなくて
どうするんだ~って話で。
勇氣を振り絞って、
本人に聞きました!
(2020年10月30日でした。)
「お母さん、今、幸せ?」
って、聞いた。
もうさ、
「お母さん」って言った瞬間、
涙が、わーーー
って、溢れてきて、
止まらなくなっちゃんです。
そしたら、
「えっ?え?なに?急にどうしたの?」
って、
めっちゃびっくりしました。
そりゃそうだ。笑
でも、頑張ってもう1回聞いたんです。
「お母さん、今幸せ?」
って。
そしたら、
「えぇ~?何?急に?
そんなこと言われてもねぇ~」
って、めっちゃ普通で。笑
(このお母さんの感じ、音声で伝えたい。笑)
でも、私はめげずに、
自分の思っていることを
伝え続けました。
だけど、当のお母さんは
「大変とか思ったことないのよね~。
いつか終わるって思ってたし。
ただ、じゅんちゃんが1月2日から
お店を開けるとか言って、元旦に帰ったのは、
コンチキショーって思ったよ~」
って、感じで
幸せとか不幸せとか
語らなかったんだよね。
(この会話の親子の温度差、ハンパない。笑)
そして、
1時間くらいで電話を
切りました。
なんだか、手ごたえが
得られなくてモヤモヤ~
って、したまんまだったけど、
長年思っていることを
伝えることができた
って、喜びは少しだけあった。
そして、
急に疲労が込み上げてきて
海をぼ~っと眺めていた。
そしたら、
電話を切った30分後くらいに
お母さんからメールが!
めっちゃ、すごい勢いで開封した!笑
書いてあったこと。
幸せとは何かを得ることではなく、『どう生きるか』だと思います。
わかっているよね。
おいしい夜ご飯を。
そうか・・・
お母さんは、どの場面でも、
『どう生きるか』を思って
生きていたんだ。
もし、大変とか辛いとか
感じる場面があったとしても
『自分がどう生きるか』
に意識があって、
外側に意識を向けては
いなかったんだ。
だから、
負のエネルギーを
あまり感じなかったんだ。
自分の幸せを
自分で造っていたんだ
って。
それを、
私は自分のモノサシだけで、
お母さんを見て、
『不幸にした』
って、決めつけていて。
どんだけ自分目線だよ?
って、話ですよ。
*
ただ、この日を境に
私は自分の中で生まれる
『怖れ』の感情が
急激に小さくなっていったように思う。
例えば、
「〇〇になったらどうしよう・・・」
って、なったとき
いやいや、そうじゃない。
『私はどう生きる?』でしょ?
って、
自分の中に答えを求める。
ということが、
『体感覚』として
インストールできた
からかなと思う。
ただ、そうなることで、
私のパワーが倍増し、
私のブログを読むことが
しんどくなっている人が
出てきたことも事実。
でも、強く賛同の言葉を
メッセージでくれる人が
増えてきたことも事実。
自分が変わると、
周りも変わる。
って、ことが今起きている。
離れていく人がいることは、
正直、寂しい。
だけど、自分の中にある
エネルギーを抑えて生きることは、
苦しさを伴うことを
私はよく知っている。
これは、
小学校低学年の頃に
初めて体験してから、
大人になるにつれ、
自分の抑え方もどんどん『会得』して、
ほんの数年前までのしんどい私が
作られていったから。
だから、
もう同じことを繰り返さない。
幸せとは
高年収で欲しいものを買えることでもなく、
自分を抑えてまで、周りと調和を保つことでもなく、
社会的に認められることでもなく、
『私がどう生きるか』
なんだ。
最後まで読んでくださった方。
どうもありがとうございます。
西村じゅんこ