影のある転職理由

もともとは、技術系OLの私ですが、全くの異業種であるセラピストを目指した理由には、少し影があります・・・

三陸海岸との誓い

さかのぼること、8年前の2011年9月23日、私は三陸海岸の空の下にいました。

「来月から養成学校へ入学してセラピストになります。」

と、自分自身に誓いながら。

9月の三陸海岸は青く、空はどこまでも澄み渡っていました。

ほんの半年前の2011年3月11日、この穏やかで美しい海が大津波という姿に形を変え、多くの人の命を飲み込んでいったとは、とても思えないくらい。

思い入れ深い三陸海岸

私にとって三陸海岸とは、両親が青森県八戸市出身ということもあって、生まれて育った埼玉の実家よりも、ずっとずっと思い入れのある大切な大切な場所です。

1度目の結婚のとき、母と2人で行った独身最後の旅行は、青森県から宮城県をつなぐ三陸鉄道に揺られる旅でした。

私の初めての海水浴場は、三陸海岸の白浜海岸でした。そして、私が初めて歩いた場所は、碁石海岸という岩手の三陸海岸でした。

そのくらい、三陸の海には小さい頃からお世話になり、たくさんの思い出を作ってもらいました。

また、その海を守っておられるその土地の人たちが、どれだけ温かく、思いやりのある人たちであるかということも、子どもの頃からの関わりの中でよく知っていました。

2011年3月11日から止まらない自己否定

その海と土地の人たちを、2011年3月11日に大津波が襲いました。テレビからは、私の知っている温かな人たちが苦しみ、豊かな海が壊れていく映像が連日流れてきます。

その光景を目の前に私は無力でした。

当時の私は、離婚をしたばかりで今後の人生のために正社員を目指し就職活動中でした。

大した収入もなく、同世代の友人は子育てに奮闘している中、ただただ自分の生活のためだけに、自分を守るためだけに働いていました。そんな自分に対し思うのです。

「今、三陸海岸のあの土地には親を亡くしている子どもだってたくさんいる。私が代わりに死ねばよかったのに。

私は世の中で何の役割も果たせていない人間なんだから。どうして私なんかが生きていていいの?どうして私なんかが。」

今思い返すと、なぜそこまで追い詰めたのか自分のことながらわかりません。ただ、その感情を持つことが、私の人生を歩むために必要なプロセスであったと理解しています。

8年前の2011年9月23日、三陸海岸の大須賀海岸です。この日、ものすごいエネルギーを与えていただいたように思います。大津波の後、未だお墓に入ることができていないたくさんの仏さまから「命があることに感謝し、あなたの人生の目的を果たしてください。」と、背中を押していただいているように感じました。

限界に達したときに見つけた一枚のポスター

精神状態が限界に達したとき、ひとつの思いが芽生えてきました。

「世の中の役に立っていないって決めているのは私だ。私自身がそう決めつけていることが問題なんだ。だったら、”私が生きていていい”って私が思える自分になったらいいんだ。」

決心すると不思議なもので、いろんな情報が私の目の前に提示されてきました。

それは、どれもこれも私がセラピストになることを促す内容ばかりでした。でも、技術職から全くの未経験であるサービス業へ転職する勇気はもてませんでした。

そんなある日、目に入ってきた1枚のポスターの見出しにはこう書いてありました。

「三陸海岸にボランティアへ」

主催はリラクゼーションサロンでした。内容は7年経った今でも、よく覚えています。

”震災直後の混乱時期ではなく、心のケアが必要になり始めるであろう半年後を目安に、震災被災地へと伺うことに決め、準備を進めた。”

私にも、できることはある!

このサロンで資格を取得してボランティア活動に参加しよう!

自分のこの手を仕事に生かそう!

施術を”受ける人”から”届ける人”になろう!

ポスターの言葉は、いつまでも足踏みをしている私の背中を押してくれたのです。

パソコンに触れていた手から人のからだへ触れる手へ

奥底から込み上げてくる思いに正直になり、技術職として身に着けた技術をすべて捨て、セラピストとしてゼロからのスタートを決めました。

すぐに養成学校へ見学に行き、入学の説明を受けました。でも、そこで残念な回答を受け取るのです。資格取得までの期間が全然足りず、ボランティアには参加できませんと。

「卒業前に参加することはできませんか?」と、聞いてみたのですが、もちろんそれは叶う訳がありません。だけど、もう戻る氣は全く起きず、入学しました。

バツイチ34歳の派遣社員から、自分の進む道を見つけることができた喜びは大きく、自分の決断から、大きな1歩を踏み出せたことに満足感を得ていました。

ところが、ここからもっと新たな課題が立ちふさがるのです・・・

はき違えた”癒し”の世界

私のセラピストを目指した動機は「私が生きていていいと、私が私を赦せる理由が欲しかった。」という自己中心的な自己愛なのです。

当時の氣持ちを読み解くと「ありがとう~」と、お客さまに言ってもらうことで、自分の存在意義を感じたかったのです。自分の存在する意味を人任せにしていたのです。

セラピストとはお客さまへ施術を届ける職業です。自分が満たされていない状態で、お客さまにサービスを届けることは決してできません。

そんなこんなで、この先はぐっちゃぐちゃに揉まれに揉まれていくのです・・・(セラピスト転職後の苦悩でも書いています)

あとがき

今思い返すと、当時からもっと自分の氣持ちを掘り下げることをしていたら、どれだけ楽だったかと思います。

人生の目的は、自分の氣持ちを掘り下げて行けばいくほど見えてきます。それを知ることで、自分を好きになり、自分の感情に満足し、納得のいく人生を歩むことができると思うのです。

西村じゅんこでした。

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