『赤ちゃんができる手』と言われた頃の話〜本当の願い

けんさんは双子座です。

 

施術者として修行中で
まだ、学校に通っていた頃の話。

症例モデルとして
1か月の間、週1回

私の施術を受けてくれていた
33歳の友人がいました。

その友人は

3年間ずっと赤ちゃんを望んでいるけど
なかなか授かることができないんだ~

って、悩みを話してくれました。

そして彼女のところには
私の症例モデル期間が終わった1ヶ月後、
めでたく赤ちゃんがやってきました。

「じゅんちゃん手のおかげよ~~!
ありがとう~!!!」

って、友人はホンキで言ってはくれたけど
施術に妊娠する効果があるなんてことを
受け入れるなんてもちろんできませんでした。

だけども
その後、サロンをオープンしてから

「じゅんこさんの『手』のおかげで
妊娠できました。」

って、

わざわざ喜びの声を届けてくれるお客さまが
ほんとうに多くいらっしゃるので、

いろいろ思いを巡らすことはあります。

 

たくさんの『お母さん』がそういうんだから
全く筋違いな話じゃないんだろうな~

って。

 

 

例えば、

本当は自分自身が
出産したいと思えていなかったけど
話をすることで氣持ちが決まった

とか、

西村じゅんこという
非日常の人と会話をすることで、
自分の中に『余白』ができて、
赤ちゃんを受け取れるようになった

とか、

自分を大事にすることを感覚として
落とし込めたから、
神さまが「そろそろかな」
って、赤ちゃんを届けてくれた

などなどね。

でも、ぐるっと回って
因果関係はないよな~

というところに落ち着きます。

妊娠と私との間の因果関係といえば、
確実なものがあるのですが、

『赤ちゃんができる手』

って、よく言われていた頃は、
私自身が出産を諦めたころでした。

だから、

「じゅんこさんのおかげで妊娠できました!
ありがとうございます!」

って、言われても、

「おめでとうございます。」

が、言葉だけだったなって
当時を思い出すとわかります。

そうですか・・・
よかったですね・・・

心の中では棒読みだったな~って。

 

 

私はというと

・出産したい
・子育てをしたい

って思いは叶わなかったんですね。

 

前の旦那さんは
すぐにでも欲しいって
すごく言っていたけど
私がまだ欲しくないって、
授からないまま離婚しました。

(離婚の理由は他のところにあったけど)

 

けんさんとの子は
産みたいって猛烈に思ったけど

出会ったときにけんさんには
前の奥さんとの間に
ひとり息子さんがいて、

そのいろいろな過程の中で、
「俺にはもう無理だ」って
『苦しそう』に言われたんですね。

そして、
いろいろぐちゃぐちゃし
私はけんさんと別れ
別の人と付き合いました。

私は結婚してくれるその彼と
産ませてくれるその彼と

再婚する人生を選択することも
できました。

(すっごい言葉が悪いけどこれが適切なので使いました。)

でも、愛しているのは
けんさんでした。

一緒に生きていきたいのは
けんさんだったんです。

じゃあ、
なぜそんなに欲しかったかというと

結婚して出産をして子供を育てる
っていうことが
1つの『成功の形』であり、

その『一般的な幸せの形』に
囚われていたんです。私が。

 

みんながなっているように

・結婚をしている”私”
・子どもを育てている”私”

になりたかっただけ

なんです。

 

私は最終的に
けんさんと生きる人生
を選びました。

そして、私は
自分の幸せにまっすぐに向かわず

みんなと同じ
を欲しがったために一人の男性を

めちゃくちゃ傷つけました。

 

結婚して子どもがいる人が幸せ

とか

女性なんだから産むもんだ

とか

親を安心させたい

とか

 

そんな

縛りの中にいる私だから

不幸だった

んです。

 

そして、

本氣で大切にしてくれようとした

1人の男性も傷つけたのです。

 

 

結婚して数年経ってから

けんさんに

「今でも欲しい?」

って聞かれたとき

 

「うん」

って言えなかったんですね。

 

出てきた正直な答え

「ううん、ほしくない。」

でした。

 

欲しくないって言うまでは

時間がかかったけど、

 

40歳過ぎてから出産なんてね~

とか

今さら言われても~

とか

 

口からでる言葉は

自分の本音とかけ離れた

言い訳ばかりでした。

 

結局のところ

私が本当に生きたい人生とは

けんさんと2人で共に生きる

だったんです。

 

34歳のときけんさんに

「俺にはもう無理だ」

って言われたときは

「あなたにはいるからいいよね!」

と、けんさんを強く恨みましたが

本当は救ってくれたんです。

 

本音を自覚していなかった本当の私は

『欲しくなかった』なので。

 

 

なんだか話が散らかっちゃったけど

自分が本当に願っている時って

叶うと思うんです。

 

だから

 

その願いの背景にある

ほんとうになりたい

は何か?

 

と自分と丁寧な対話を重ねていくと

叶わない願いは

本当のところ願ってないもの

って、氣がついたりしますし

 

本当の願いではないことを

無理やり実行しようとすると

 

これでも叶えたいか?

本当に叶えたいか?

本音はなんだ?

 

と、問われるような

本音を思い出し方向転換させるために

苦しいことばかり起きたりします。

 

逆に

これは本当の願いだ

って、

確かな思いを自分で感じた瞬間

自動的に動くようになります。

 

つまるところ

その願いが本心であるのか?

そこに尽きるんだと思います。

 

以前、

1年ぐらいずっと授からないという
お話をしてくださったお客さまへ

「大丈夫ですよ。
来月やってきますから」

って、
お伝えしたことがあったんです。

どうしてそんなことを
言いきれたかというと

そのお客さまから
『ホンモノ』を感じたからなんですね。

そして、翌月その方は
授かることができたんです。

彼女からは

じゅんこさんが言ったから
私は授かるんだって、
信じて疑いませんでした。

という内容の長~~い
メールをいただきました。

でも、本当は
じゅんこさんが言ったことを
信じて疑わなかったから
授かったんじゃなくて

自分を受け取ったから
授かったんだと思っています。

(この話はお客さまから公開の許可いただいています。)

 

 

長くなってきたので

そろそろ〆ます。

 

こうして書き出してみると

私の今生の目的のひとつとして

 

私にとっての幸せとは

愛する人と共に生き

その喜びを味わいきる

 

があるんだろうな

って、思っています。

 

・みんながそうしているから

・それが当たり前だから

・人(社会・親)に認められたいから

 

そんな外側の目ではなく、

ほんとのほんとの
ほんとうの自分の氣持ち

 

は、何なのか?

・そこを掘ってみる
・掘ることを決める

と、その瞬間に

自分の人生が動き出す=人生が好転する

と思うのです。

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