『湯河原町の石けん工房』発足のストーリー

『湯河原町の石けん工房』がどんな風にはじまっていったのかという話です。

とっても長いので、ミニぷち小説を読む感じで読んでいただけたらと思います。

では、はじまりはじまり~~

それは2020年12月15日のこと

「西村さーん。いますかー?」門の外から声がした。

「はーい。今いきまーす。」お客さま来店の準備に集中していた西村じゅんこは、慌てて外へ出た。すると、町役場の男性が2人立っていた。

「これ、西村さん家のものだと思うのですが・・・」手に持っていたものは、銅板。母屋の屋根のものだった。

そう。12月に入ってからの湯河原町は、風速10mの西風が連日吹き荒れていた。その風に煽られて、屋根の一部が吹き飛ばされたのだ。

「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。」そう言って銅板を受け取り、星舟庵の修繕を請負ってくれた建築会社の専務に助けを求めた。

専務はすぐに駆け付け手配をし、翌日には担当の板金職人が来てくれた。板金職人もまた、修繕を担当してくれた職人と同じであった。西村じゅんこは、また彼に会えてうれしかった。

 

そして、事件は起こった。

 

板金職人と交わした会話中の、なにげない言葉だ。

湯河原町もさ、50 ~60年前のみかん産業はすごく盛んだったみたいなんだよね。今はあんまり売れなくなっているみたいだけどね~

板金職人からの言葉を受け、西村じゅんこは頭がクラクラした。

 

 

 

 

 

そんなのやだ…。

 

ただただ「寂しい」という思いで、いっぱいになった。

なぜならば、

秋、オレンジに染まる段々畑の光景は、東京から移住をしてきた西村じゅんこの目に大変美しく映った

からだ。

その光景が、今すぐではなくても将来減ってしまう可能性(例えばどんどん建物が立ち、駐車場に変わったりとか)を想像したとき、心にぽっかり穴が空くような深い喪失感にかられたのだ。

 

何かできることはないか?

 

 

板金職人との会話の後から、そのことばかり考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

数日後・・・

事態は動いた。

それは、冬至にゆず石けんを贈った師から届いた、お礼のメッセージにあった。

 

恩師の温かな言葉に和んだのも束の間。

西村じゅんこは最後から5行目の文章に固まった。

 

西村様の「YUZU」は、そこの村の山で取れた香りがします!

 

そこの村で取れた…

そこの村で取れた…

そこの村で取れた…

 

 

 

 

 

 

それだ!

 

湯河原の柑橘類で、石けんを作ったらいいんだ!

 

かくして、西村じゅんこは自社商品でダントツ人氣No.1の『ゆず石けん』を基に

 

「この石けんの香りを、湯河原町の柑橘類で作るにはどうしたらいいか。」

 

と考え始めた。

決意

板金職人の言葉の通り、湯河原町内を車で走っていると、木になったままになっているみかんをみかけることがある。これは、収穫しても販売に至らないことが理由だと聞いた。

木になったまま朽ちている大量のみかん。涙

拡大

地面にも大量に落ちている朽ちたみかん。(とはいっても、これは全体からみたら流れであって、木になったみかんを人間がいただいているだから、もったいないと感じることもまた違うように思う。)

 

柑橘系の精油を作るには大量の皮が必要になる。これらのみかんを活かすことができるのではないか?

『ゆがわら石けん』を開発することによって、今まで廃棄されている柑橘類が、人から愛されるものとして形を変えることができたら、こんなに素晴らしいことはないと考えた。

 

ここで大きな問題が…

『石けん』とは化粧品である。石けんを化粧品として販売するには、薬事法で定められた基準などがある。これをクリアするには、まず薬剤師を雇用する必要がでてくる。

他にも、

精油を作るための設備投資、

開発費用などなど…

ちょっと計算しただけで費用が必要なことがわかる。しかも、移転をしたばかり。そしてコロナ禍で積極的な集客はしておらず、決して『潤沢な資金』とはいえない状況であった。

 

でも!

 

何か方法があるはず…

 

あるはず…

 

ある…

ある…

ある…

 

西村じゅんこは、必死に探した。

 

給付金…

 

助成金…

 

支援金…

 

 

 

 

 

 

 

 

あった!!!

 

日本政策金融公庫

新型コロナウイルス感染症特別貸付

(国に申請したら実質3年間無利子)

 

これだ!

新規事業の立ち上げとして

融資を受けよう!

 

 

融資を受けて審査が通るまでのお話はこちらから

 

いざスタート?

理念も、資金も準備万端。

では、スタート!のはずが、なぜか止まってしまった。動けないのだ。西村じゅんこの脳裏から、日本政策金融公庫の担当者の言葉が、離れないのだ。

 

 

 

 

 

「町興し、頑張ってください!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うむ…

私がしたいことって「町興し」なのだろうか?

確かに、事業計画書に書いたことは湯河原町のみかん産業・旅館業・建築業の循環、そして発展という話で、誰が聞いても町輿しだ。

 

ほんとうにそうなの?

町の発展が目的なの?

そもそも、

湯河原町は『興されたい』の?

 

 

 

西村じゅんこは、またもやグルグルに入る。

 

何かが足りないんだ…

何かが…

 

グルグルし続けること6週間。

 

 

 

 

 

 

その『とき』は来た。

庭の杉を剪定してくれた庭師さんとの会話中に答えはあった。

この杉の木に登って剪定をしてくれました。ちなみに、電柱の高さを超える木に登れる庭師さんは『空師』さんというんだって。めっちゃかっこよかった!

 

庭師さんに

「植物の氣持ちって感じるものですか?」

と聞くと、

「施主さんの依頼で木を伐採するときには、切るときに”ごめん”って思いますよ。」

という答えが、真剣なまなざしと共に返ってきた。

 

 

 

 

 

ここでバチン

スイッチが入った。

 

 

 

 

西村じゅんこの『ゆがわら石けん』の行動に必要だったのは『コレ』だったんだ!

 

私たちは生きていくうえで、他者の命をいただいて生きている。そこは避けて通れない。

 

だけど…

命を絶つ者と、命をいただく者が、

べつの人間であることによって、

命をいただいている感覚を得る機会が失われている。

 

ゆがわら石けんの開発を通じて、

私たちは命をいただいて生きている

という感覚を伝えていきたいんだ。

水仕事石けんの『どくだみ』と『レモン』。星舟庵のお庭でパチリ。

 

 

思いつづけていること

太陽・大地・空・水・・・

自然は私たちに恵みをもたらしてくれる。

だけど、そんな感謝の氣持ちはいつしか薄れ、『ほしい』や『足りない』の社会になってしまった。

人間の知恵は我欲を満たすためだけでなく『自然との循環』を生かすためにある

と、みんなが思う世の中にしたい。

 

 

 

 

 

 

 

ってさ、

「そんなこと私にできるの?」

というツッコミは瞬間で起きる。

 

 

 

 

 

いや、私ならできる。

だって、子どもの頃からずっとそうだった。

 

小学生3年生のとき、

フロンガスの影響でオゾン層が破壊されるということを知って、どんなに暑くても冷房を使うことは控え、扇風機を愛用した。

自分の快適さのために、地球が壊れ苦しむことが辛かったから。

 

小学校4年生くらいのとき、

日本の国土と同じくらいの面積の熱帯雨林が毎日伐採されていて、その輸出先の半分は日本であるという番組をみて、再生紙のノートを買うようになった。

大好きな樹々が地球からなくなることを想像したら、悲しくて仕方なかったから。

 

中学生になってからのこと。

部活でみんなが500mlの牛乳パックを凍らせて持ってくることが流行った。そのときは、飲み終わった牛乳パックを全員分回収して公民館に持っていっていた。

モノが『捨てられる』ことが減って、役に立つ時間が長くなったらいいと思ったから。

(小学生の授業で、牛乳パックがハガキになる過程を学んだから。そして、今は牛乳パックを使って石けんを作っている。笑)

 

もっと言うと、

『全てのモノに何かが宿っている』

と、誰に教えられたわけでもないのに、小さな頃から知っていた。

大きな樹や神社が大好きだった。

 

ここにいる『みんな』が関連して生きている。私たちと『同じ』言葉がないだけで、感じ、伝えていることがある。

誰だって、「いらない」と捨てられたり、存在を無下にされたり、雑に扱われたら、悲しいよね。

子どもの頃から、ヒトよりむしろヒト以外の存在にそんなことを思っていた。

 

 

 

その思いは、

 

 

たとえ

賛同者はいなくても

 

 

ときに

笑われることがあっても

 

 

 

 

 

 

変わることはなかった。

 

大人になっても変わらない

そして、今も思い続けている。

 

30歳をすぎた頃から、メイクをしても氣分は上がらなくなり、どんどんメイク道具が減っていった。

「今年は毎日フルメイクをするぞ!」

と、年始に目標を立てても続かなかった。何度も挑戦したけど、達成できた年はなかった。

最初は、年をとって面倒になったからだと思っていたけど、よくよく『感じて』みると違った。

理由は、奥底で拒絶している魂の声を感じていたのだ。

 

・その化粧品は何の犠牲の元に作られているのか、誰が得をしているのか、あなたは知っているでしょう?それを知っていてなお、あなたは使い続けるの?

・この丁寧につくられている世のシステムに氣がついているんでしょう?

・石けんと基礎化粧品を作って使って何を学んだ?得た知識をどう活かしていくの?

 

そんな魂の声を無視し続けることに限界が訪れていた。

 

化粧をすることで本来の自分の姿を隠し、違う自分を装うことは、言葉がなく抵抗できない動物たちの苦痛の上に成り立っているんだよ?(うさぎは瞬きが少ない)

 

それでも、

あなたは使うのか?

 

否、断じて否だ。

 

といいながらも、

・刺されると『かゆい』からといって、蚊を殺すこともする。

・ブンブンと『うるさい』という理由で、ハエを殺すこともする。

・特に害のないゴ〇〇リを『見た目』で嫌がり、天敵の家蜘蛛は大事にする。

 

私は、自分の快・不快で命を奪っている自分勝手な『イキモノ』なのだ。

 

という中で生きている。

 

そして、

自分が生きるために

誰かを殺している

 

それを理解し身勝手である自分を受け入れることで、謙虚な氣持ちが生まれてくるのだと思う。

 

ほんとうはみんな知っている

かつて、日本ではこんな考え方が当たり前だったと聞く。

霊や魂はなんら特別な存在でなく、自然崇拝の精神と共に日本の『日常』にあった存在。

目に見えなくても形はなくとも、『体感覚』として生活を共にしていた存在。

 

例えば、

なぜ、箸を横におくのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

料理研究家の土井善晴先生の書籍より、引用します。

日本人の美の観念には目に見える形で継承されているものがあります。

和食では箸を横に置きます。同じ箸食文化の中でも、中国や韓国では箸を縦に置きます。

横に置くのは日本だけです。

これは、人間と自然(食材)との境界です。「いただきます。」と心に念じて、自然の恵みに感謝して、箸をとって「結界」を解くのです。

くらしのための料理学 土井善晴

 

誰かの命を殺して生きている

 

この真理を常に持って生きていたら、自分の中にある愛の深さに氣が付き、

そして、

「いろんな人がいて、いろんな幸せの形があるんだよね」っていう、他者に対する愛ある世界が広がっていくんじゃないかなって。

 

 

果たして手作り石けんでそんなことができるのか?

何度もこの問いが浮かぶんだけど、その度に、この湯河原町という土地だったらできるって結論に達する。

 

なぜならば、ここ数年『自分をみつめる』という、まあまあシンドイことを続けてこれたのは、この湯河原町という環境だったという事実。

(この土地の神社さんもすごい。)

 

そして、『ゆがわら石けん』の発案も、その後の行動も職人さんとの対話から生まれている。

(湯河原町は職人の町といわれている。)

 

そして、けんさんの論理的思考、私の情熱や想い、この1年間で繫がりをもってくれた方々。

 

 

この土地でなら

できる氣がするんだ

 

 

 

 

ということで…

『ゆがわら石けん』の開発・販売を通じて、人だけが外れてしまっている『循環』の中にもう一度入ることで、『全体』が幸せになる世界を作る

これが事業の全容です。

 

自分の中にある愛と深いところで繋がり、自分も自然を構成している『ひとつ』であり、みんな同じく生きている感覚を持つことで

自然だけ、動物だけ、誰かだけが苦痛を強いられている世界は、終焉を迎える

 

と信じています。

 

最後まで読んでくださって

ありがとうございました。

 

西村じゅんこ

 

その後の展開はこちらのお話です。

芳香蒸留水の石けんのはなし

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