幼少期の自分を解き放つ~子どもは無条件に親を好きなんだ

自粛中は、

自分の本音と向き合う時間

になっていました。

本~~当に、

たくさん氣がついたことが

あったんだけど、一番は、

 

子どもの頃に受けた

親の影響は大きい

 

ということ。

このテーマだけで何記事になるか?

って思うんだけど、

まずは、父と仕事と私の話。

 

無意識の領域で、

「これが正しい」「こうあるべき」と、

自分で勝手に決めて

自分で自分の自由を奪っていた

ということに氣が付いたので、

そのブロックを外していった話です。

 

 

長文ですが、親子関係で氣になる方は、

参考になるかもしれないので、

ぜひ読んでみていただけたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

今日は6月13日。

最後のサロンワークが4月7日だったので、

もうかれこれ2か月も

施術をしていない私がいます。

 

誤解を怖れず正直に言うと、

施術をしていなくても

充実している私がいます。

 

 

(ふぅ~。施術者として、

この言葉を書くことは、

ものすごく勇氣がいりました。)

 

 

っで、

 

何をしていたかというと、

自分の氣持ちと深く向き合ったり、

近所に散歩へ行ったり。

 

主人も家にいるので、

ゆっくりと語り合ったり、

氣がついたら夕方になっていたり。

 

そこから、

ゆっくりご飯をつくって、

ゆっくり食べたり。

ゆっくりお酒を飲んだり。

 

(主人は下戸なのでヒトリ酒ですが。笑)

 

 

こんな風に、

今まで目を向けることのなかった

『ゆっくり』を

過ごしていました。

 

 

長くお付き合いくださっているお客さまや、

20代からの私を知っている人達からしたら、

こんな私は信じられないと思います。

 

ガッツリ働いている人物

労働に喜びを感じている人物

常に何かしている人物

 

これが、多くの方が持つ

私のイメージだと思います。

 

実際のところ私も、

そんな自分が好きでした。

 

 

ところが!

 

 

ここ数か月仕事もせずに

『ゆっくり』を楽しんでいる

自分がいる。

 

これは、

受け入れがたかったんです。

 

「何かしなきゃ!」

 

ずっと、

ザワザワしていました。

 

なぜならば、

私の中の自分は働いている人だからです。

 

苦なくして楽を手に入れることは、

『悪』という価値観があるからです。

 

アリとキリギリスの

キリギリスは『極悪』なのです。

 

「じゃあ、なぜ

そんな価値観(ジャッジ)を

持つようになったんだろう?」

 

というところで掘り下げてみました。

すると『父』が出てきたんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父は、本当にまじめで働き者で、

家でゴロゴロしている姿など

見た記憶がまるでないんです。

 

 

お盆と正月は数日休むかな?

くらいな感じで、

土日も出勤しているのが

当たり前の父でした。

 

 

今でこそ、穏やかですが、

私が小さい頃は、

仕事から帰ってくると

明らかに機嫌が悪い日も

たくさんありました。

 

 

当たり散らしたり

大きな声を出したりはしないのですが、

無言という圧力で、

傍に行くことはできませんでした。

 

 

空氣を読まずに傍に行こうとすると

「今はだめーーーっ」と、

母に止められることもありました。

 

 

だけど私は、

そんな働き者の父のおかげで、

お金に困ることなく、

何不自由のない環境で、

育ててもらいました。

 

 

また、父は自分の仕事を

深く愛していますし、

誇りに思っています。

(言葉にはしないけどね。)

 

 

そして、

 

お客さまのために

最大の成果を上げることは、

大大大----前提のことで、

時間を割くことに苦はなく、

「できない」という言葉は恥であり、

自分の技術で人のためになることが、

最大の喜びであり、

それが人として『当たり前』である、

 

という姿を見せてくれていました。

 

 

そして、私は父が大好きでした。

(もちろん今も)

 

 

つまり、私にとって

『豊かさ』と『苦労』はセットである、

という価値観が形成され、

 

お客さまのために

最大の成果を上げることは、

大大大ーーー前提のことで、

時間を割くことに苦はなく、

「できない」という言葉は恥であり、

自分の技術で人のためになることが、

最大の喜びであり、

それが人として『当たり前』である、

 

 

という背中を見てきたので、

まんま、なろうとしていたのです。

 

 

お父さんがそうしていたから

間違っている訳がないと

信じて疑わないから。

 

 

だって、

お父さんが大好きだから。

 

 

(子どもの頃のインプットは、人によってさまざまです。反面教師もあると思います。)

 

 

ということで、

私はガッツリ父色に染まり

労働に喜びを得ることが美しい姿である

という価値観が形成されていきました。

 

 

っで、

 

 

話を元に戻すんだけど、

労働に喜びを得ることが美しい姿

という幼少期のインプットがある私が、

 

仕事もせずに

ゆっくりと日々を過ごしているなんて

許されないんですね。

 

だって、そんなことをしていたら、

一生懸命働いているお父さんと

違う自分になっちゃうから。

お父さんに嫌われちゃうから。

 

 

だけど!

 

(ここからがとても重要!)

 

それは、

子どもの頃の環境で

形成された自分の価値観

 

であって、

 

誰~~~も、

「ゆっくりしちゃいけない。」

なんて、言っていない

んですね。

 

 

もちろん、父も。笑

 

「私は休んではいけない。」

「私は楽をしてはいけない。」

「私は働かなくていけない。」

 

と、制限をかけているのは、

誰でもなく『自分』で、

自分の考えで自分の自由を奪っていた

だけ、なんですね。

 

もう一度繰り返しますが、

 

「私は休んではいけない。」

「私は楽をしてはいけない。」

「私は働かなくていけない。」

 

 

なのに、休んでいる・・・

という、私の中に生まれた罪悪感は、

 

誰に言われた訳でもなく、

自分が作り上げた思い込み

でしかなかったんです。

 

このカラクリに氣が付くまでは、

ものすごく苦しみました。

 

と、氣がついたとしても、

 

働き者の自分

から、

ゆっくり過ごしている自分

へのシフトは、

 

ものすごく抵抗があります。

 

長らく守ってきた『自分』だから。

 

だから、ザワつく心に対して、

 

「ずっと働いていなくていいんだよー

休んでもいいんだよー」

 

と、繰り返し許可をして、

ゆっくりを過ごす自分が、

充実している『今』を、

受け入れることができました。

 

と、

父と私と仕事の話をしてきましたが、

この話は、

 

自分で作りあげた価値観で

自分をガッチガチに縛っている

 

話です。

 

もし、あなたが、

 

「普通、〇〇でしょ?」

 

って、怒りの感情と共に

言う(感じる)ことが多かったら、

 

・その「普通」はどこから来ているのか?

・なぜその「普通」が生まれたのか?

・その「普通」に自分が縛られ、苦しんでいることはないか?

 

という視点で掘り下げてみると、

案外すぅ~っと楽になるかもしれません。

 

自分の感情は、

自分の中から生まれたものなので。

 

長い文章を最後まで読んでくれて、

ありがとうございました。

 

星舟庵

西村じゅんこ

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