彼岸花@幕山公園
1年くらい前になるかな~
お客さまのご紹介で行った治療院で、
こんな診たてをしてもらったんです。
見えすぎ、聞こえすぎ、人やモノの氣配など、目に見えないものを察する感覚が人より高い。
そして、自覚がないまま使い続けているので、感覚器が摩耗している。
瞬間に捉える情報量が人より多いので、感覚器から入ってくる膨大の情報を、脳が処理しきれていない。
でも、全て理解しようとしているので、頭がオーバーヒートしている。
珍しい視点から診る先生だな~
と思ったと同時に、
感覚器が摩耗している
に、ものすごく納得しました。
特に視覚が顕著でした。
当時、私は寝るとき、
枕を頭の下ではなく
『目の上』に乗せているんですね。
(どんな使い方?笑)
乗せたくて仕方ないんです。
先生曰く、
目を閉じるチカラも
残っていないから何かを乗せて
視界を遮りたいことの現れ
ということでした。
(枕を目の上に乗せる話はしていなかったので、かなり驚きました!)
さらに、
残像の見えている時間が人より長い
ということを初めて知りました。
私は、蛍光灯を見たあと、
壁を見ると数十秒間
くっきり光の跡が見えます。
人と話をした後、
目を閉じるとその人の輪郭が
くっきり浮かびます。
そのくらい私の目は、
光を多く受信している
ということです。
だから、残像として
焼き付いているんですね。
言いかえると視神経に
めちゃくちゃ負荷がかかっているのです。
(先生に診ていただくまで、みんなそうだと思っていました。)
また、私は、
人混みにいると、
目を開けていることが
苦くなってきます。
人が多い分、人の氣配など、
入ってくる情報量が多いから、
目を閉じることで強制的に
情報を遮断しようとしているのでしょう。
(防衛本能ですね。)
そして、
瞬時に捉える情報が多いということを
湯河原に引っ越して体感しました。
例えば、車の助手席にいて
バス停の前を通り過ぎたとします。
そのとき、私は停留所名だけでなく
時刻表に書いてある時間を、
ほぼ記憶できます。
私にとっては
見えてるだけのことなので
なんとも思っていなかったのですが、
誰かに話すたびに驚かれるので、
特殊なんだと、初めて知りました。
そんな感覚器を持つ私は、
都会では疲弊しやすく
対応に苦労していたようです。
だから、
自然が多い環境で暮らしたいと、
20年以上願っていたのですね。
改めて頷けました。
授かった能力が生かせる場所を
探していたんだと思います。
***
人のからだの特徴は、
その能力を人のために生かす
という話があります。
目が大きい人はよく見ること、
耳の大きな人はよく聞くこと、
整った容姿は『美しさ』という感動を
人へ届けてあげること、
背の高い人は高い場所のモノを
取ってあげること。
などなど…
人のために自分が存在する
と言ってもいいかもしれません。
だから私には、
プログラマーも経理事務職も辞めて、
感覚が大事である施術者へ転職し、
誰もが自分の感覚器を解放し
自分の感覚を感じ切ることに没入できる
『何もしないをする』場所、
星舟庵ができたのだと思うのです。
多くを感じとってしまう
聞こえてしまう
見えないモノまで見えてしまう
私の感覚器。
長いこと付き合い方に
苦労し続けてきましたが、
やっとこの場所で人のためになれる
ことができるように思えてきました。
西村じゅんこ