言葉を超えるモノ

今日は、

ゆる〜く私の日常の話。

 

昨日から少し冷えてきたので、

七輪に火を起こして

たまに炭を足しながら、

濡縁でぼや〜っと海を眺めています。

足元が暖かいのが幸せです。

でもさ、買ってきた炭を開けたら、

びっくり!

 

 

 

 

 

 

 

粉々で。爆

でも、この小さな炭を空間を開けつつ

チマチマと重ねながら、

 

どうしたら長く火が続くかな〜

って、意味のない時間を過ごすことに

意味があるな〜って思ったり。

 

なぜならば、

この空白の時間にブログの文章が、

パタパタっと完成したりするんです。

 

最近は、伝えたいことが多すぎて

途中で止まっている記事が

たくさんあるのです。笑

 

この粉々の炭は、

チマチマ作業で、

私の頭を無にするために、

やって来てくれたのかな〜

なんて思いました。

 

さてさて、

今日の本題。笑

 

湯河原町へ引っ越してきてから、

大きな変化がありました。

 

それは、

 

外国人から話しかけられなくなった。

 

です。

 

しょーもなっ!

本題ってそれ?!

 

って、ツッコミが聞こえてきそうだけど、

どうか、お付き合いください。笑

 

 

引っ越す前は、

ほんとーーーに

よく声をかけられてたんです。

 

道を聞かれたり、

切符の買い方を聞かれたり、

スーパーで商品のことを聞かれたり・・・etc

 

ペースとしては週に1.2回かな。

これってさ、

まあまあ多いよね?笑

 

ちょっと思い出してみてください。

 

最後に、

あなたが見知らぬ外国人から

話しかけられたのっていつですか〜?

 

 

 

 

 

 

 

 

月単位で前じゃない?笑

 

 

っでね、

その週に1.2回の出来事が

ピタっとなくなったことに、

最近ふと氣が付いたのです。

 

よく話しかけられていた頃は

なんとも思っていなかったけど、

最近思うようになりました。

 

 

 

案外楽しんでいたのかも

って。

 

 

最初は、

親切にできた自分に満足していたのなぁ~

なんて思っていました。

 

でもね、

少し掘り下げてみたら

ちょっと違っていたんですね。

 

 

私の英語はカタコトだし、

きちんと聞かないと理解できないから、

必死になって聞きます。

 

目の動きや声のトーン

あらゆるところから、

情報を得ようとしています。

 

相手の外国人の方も、

ゆっくり話をしたり、

単語を変えたり、

 

私の顔をしっかり見て、

身振り手振り

一生懸命に話てくれる。

 

そして、

なんとか意思の疎通ができたとき、

お互いの顔がキランッとして、

 

「yaehーーッ!」

 

と、結構盛り上がる(笑)

 

この一連の流れに、

人間としての本能を満たす感覚が

あったんじゃないのかなぁ~

って、思うのです。

 

 

というのがですね、

言葉が通じると、

言葉だけに頼ってしまう。

 

だけど、

言葉が通じないからこそ、

目の前の相手に全神経を集中して、

自分の【感覚】を全開にして

相手を理解しようとする。

 

だから、そこには、

心が通じ合えた喜び。

 

そして、お互いを理解しようと

努力した成果が実ったことへの喜び。

 

説明を理解ではなく、

お互いを分かり合えた喜び。

 

そんな言葉が通じないからこその

喜びがあったように思います。

 

結局は感情が満足した方が

人間って満足するんだよね。

 

あとは、別れ際、

 

「ありがと~」

「いいえ~どうぞよい旅を~」

 

お互いがお互いを思いやる空氣が

その場に流れたとき。

 

心がじんわりと温まるのです。

そんなやりとりが純粋に好きでした。

 

 

こんな風に、

コミュニケーションのとき、

言葉以外からの情報って、

めちゃくちゃあるよね。

(大学の授業では7割って話だった。)

 

だから、私は

メールやLINE、

顔は見えるけどzoomなどの電子より、

 

会って受け取れることに、

深い喜びを感じるのです。

 

星舟庵
西村じゅんこ

 

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