日本人の美学として
「人に迷惑をかけない」
と、いうものがあります。
でもねでもね、
声を大にして言いたいのです。
人のために自分が何かをできたときって、
めちゃめちゃうれしくありませんか?
*
私は、
「人に迷惑かけてはいけない。」
という教育を受けて育ってきました。
だから、
ちょっと何かをしてもらうことに
「迷惑じゃないかなぁ~」
って思ってしまう
思考のクセ
が、あると思います。
何かしてもらう=「すみません。」
みたいな。
例えばですね、
先日、大学に行ったときに、
こんなことがありました。
私は、
バックを持って席に座りました。
すると隣の人が、
「ここ一緒に使ってください。」
と、自分のバックを少し寄せて
私のバックを置ける場所を
作ってくれました。
私は、
「あっ、横におけるので大丈夫です。」
って、“反射的”に
言ってしまったんですね。
でも、次の瞬間、
「あっ、やっぱり置かせてください。
ありがとうございます。」
と言い直しました。
何氣ないやり取りですが、
ここに大きな氣付きがありました。
「何かをしてもらう」=「迷惑をかける」
と、インプットされているので、
自分の中で全て解決しようと
自動的に動いてしまっている
私がいると。
*
自分で完結できるって、
一見いいことのように思います。
誰にも迷惑をかけていませんからね。
だけどだけど、
見方を変えると…
相手から
人に何かをしてあげる喜び
の機会を奪っている
とも思うんです。
ここでもう一度、
声を大にして言いたいのです。
人に何かをして喜んでもらえた時って、
めちゃめちゃうしれくありませんか?
だから、人の厚意や申し出を、
「ありがとうございます。」
と、受け取ることや、
「これ、ちょっといいですか?」
と、お願いすることは、
人へ喜びを届ける方法の
ひとつかもしれない
とも思うんです。
*
以前、しいたけさんの言葉に
「そうだよね!」と、
大きく頷いた文がありました。
これは僕の占いを仕事にしている者としての実感なのですが「他人に迷惑をかけてはいけない」と固く思っている人は、どこか他人と自分との間に壁のような、膜のような雰囲気が出ることがあります。でも、「まぁ、たまに他人に迷惑はかけちゃうよね」と半分諦めている人って、愛情とか交流を受け取れる余裕が生まれてきます。
しいたけ占い2019年9月23日〜30日から引用
迷惑をかけられる人って
1つの余裕なのかぁ!
って、大きく頷いたんですね。
なので、
「迷惑をかけてごめんなさい。」
から、
「私のためにありがとう。」
の思考へシフトするときなのかな
と、思いました。
西村じゅんこ